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2007年12月31日
千葉消防徒然話番外編 東京消防庁バージョン その2
RE:RE:はしご特別救助隊
千葉市TAK
さて、ebara71さんにお教えいただいたとおり東消庁はしご特別救助隊は役割を終えて消滅して
しまったようですが、その存在意義とは何だったのでしょうか?
勝手な私見といたしまして、
1.
ごく単純に言えば建築物の高層化・超高層化に対する未知の環境での救助・防禦活動のお手本作り。
当時の急速な建物の高層・超高層化で、標準の30m梯子では当然間に合わなくなり
35m、37m、40m、45m、48m、50mと
(東消庁では相変わらず今でも40mが最高なのですか?)
天に向かってジャックと豆の木のように伸びつづける梯子車にあわせて、より高層での活動の見本作り、言い換えればいずれは起こるであろう超高層建物火災での下からの梯子車と上からの航空隊ヘリコプターとの垂直連携戦術のサンプル作りの役割を期待されていたのではないか?
(その後江東区南砂の超高層マンション火災が起こるべくして起こったのですが。)
2.
はしご特別救助隊が4隊設立された昭和49年頃はちょうど、梯子車の戦術が壁に突き当たって転換期を迎えていた時期ではかったのか?
と、申しますのは梯上放水が窓や壁を突き破ってきた増勢火炎の制圧以外にはあまり効果が薄かったということがあると思います。昭和46年5月の千葉市の田畑百貨店の火災においても目の前で見ていても建物外部からの梯上放水は、ほかに為すすべがないので仕方なく続けていたとしか思えませんでした。一階から出火して順次上層階に燃え上がっていったのに上階に延焼阻止の拠点を確保できなかったことが実質全焼してしまった結果になったようで、まだ消火活動中に早々東消庁から調査団が来訪してデーター収集をしていました。
建物外側からの梯上放水の効果の薄さに対する対策の一つがブレークスクアート、ボーリング放水塔車の登場につながったと思われます。
はしご特別救助隊に期待されたものは火点の火点階、上層階への外部からの積極的早期進入、橋頭堡の確保、排煙口開放作業、付け加えればサルベージ(水損防止)、ならびに内部進入部隊も含めた万一の場合の撤退路確保と掩護のお手本作りの使命が科されていたのではないでしょうか?
3.
横浜消防が特別救助隊を全国に先駆けて創設したのは東消庁に先立つこと5年です。どうも私の感覚からすると老舗の横浜消防の特救創設根拠は高層建築や地下街火災、など新しい時代の特殊災害に対応すべきレインジャー部隊の意味付けにあったようにおもえます。
実際、東消庁のHRの先駆けみたいな横浜の特別消防救助隊の構成は超大型R(RR?)、K201 40m梯子車、大型CXで構成されていました。
その直弟子の千葉消防もRとLRをペアの一部隊として運用し続けて今日に至っております。
さて、東消庁においては火災現場においての人命検索救助最優先という方針から先行部隊の人命救助活動が強く義務つけられていました。
そのPTやP2、CPで運用していた(一部道路狭隘地区ではPMが救助隊に指定されていましたが)救助隊をアップグレードする形で特別救助隊の発足という一種のエリート部隊を創設したわけです。
根底には圧倒的高率の一般木造民家火災をもっとも意識しているようにおもえます。
専任救助隊を高度な器材と特殊訓練でバックアップというのがベースにあるようにおもえます。
実際、過去から現在まで東消庁の専任救助隊を含めた先行隊の一般民家火災での救助実績は他の消防をまったく寄せ付けていないわけです。
第一着隊の覚知後5分以内の現着・活動開始を最重視し続けているわけです。
(大阪消防のように昨年まで特救隊がなくオレンジ服は着せていますがポンプ車主体の東消庁の先行救助隊制度をそのまま維持していたという、今や信じ難い実例も存在するわけです。)
かたやもう一方の特科車両部隊の中の梯子隊LS隊LT隊から同じようにエリート部隊として、はしご特別救助隊が発足したわけで、一般民家火災や交通事故救出は原則的にはやや副次的にとらえているわけです。
どちらかというと生命多数危険火災、高層火災、高所救助、特殊災害が主眼であったように思われます。
そこに東消庁のRとLRとを別部隊として運用した意味合いがあったのではないでしょうか?
やや抽象論的で毎度の長文になってしまいすいません。
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投稿日:09月16日 Rescue119さんのBBSに投稿
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投稿者 taksoho : 2007年12月31日 05:43