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2005年06月09日
千葉消防徒然話 その7
千葉消防 日本一/日本初 あれこれ
>masa様
千葉市 TAK
先日千葉消防で先端屈折式梯子車が日本で初の導入を記念しましたが、これまでにもいくつかの日本一、または日本初の事柄があります。
以下、徒然のままに。
その1
昭和57年3月に新設の臨港消防署真砂出張所
(現、美浜署本署)に当時日本一の高さのモリタ製47.15mの梯子車が導入されました。
(現在の美浜梯子1の車両です。)
年明けの昭和58年度の出初式にはこれをきっかけにして初めて自治省消防庁長官(代理でなくご本人)を千葉の式に招くことができました。
(これは千葉の出初式が1月前半の日曜日に開催されるようになった恩恵で、1月6日では長官は当然東消庁の式の方に優先して行ってしまうわけです。)
ところが昭和58年度中にはこの記録を更新されてしまいました。
なんと同じ千葉県内の船橋消防の日本機械製の48.05mでした。
(もっともすぐ翌年には倉敷市消防局に49.3mが導入されましたが。)
ご丁寧に船橋でなくていいようなものでここらへんに千葉県内の消防機関同士の関係がいまいち友好的でない原因があるようです。
さらに平成5年3月にモリタ製の50.1m梯子車が新設の美浜署打瀬出張所に導入されました。
(日野U−FW2KRAA MLE6−50R)
このタイプはもともと大阪消防・神戸消防が先に導入したもので関東以東では初の50m導入とのことです。
今現在これ以上の50mを超えた梯子車は作られていないようで千葉消防の梯子車もいまだ日本一に列しているようです。
新たな50mを越す高さの梯子車の必要性が果たしてあるかどうかはコストパフォーマンスを考えると
極めて疑問ですからおそらくこの先しばらくはこの日本一が続くことでしょう。
(東消庁は結局40mまでの高さの梯子車しか製作していません。)
その2
昭和50年3月に高圧空気充填車という新ジャンルの車両が千葉消防によって作成されました。
(いすヾフォワードSBR380改)
後に呼吸器充填車と名前が変更されました。
それまでには予備ボンベを運搬するのみの空気ボンベ補給車などは東消庁などにあったのですが空気充填用のコンプレッサーを積載した車両が作られたのは日本で初めてでした。
同時に3本の空ボンベに高圧空気を充填することができました。
このアイデアはグッドで先輩格の横浜消防でも後に採用・製作されています。
現在の臨港署に配備の呼吸器充填車は2代目の車両になります。
その3
現在、千葉消防の本署・出張所にはすべて救急車が配備されています。
(高洲4丁目の救助救急センターを例外として。)
現在第一線車で24台運用されています。
この救急車配備率は一定の規模以上の都市消防機関では日本一と思われます。
(人口10万人に1台の比率とするとなんと300%の充実率に達するわけです。)
出張所ベースでのポンプ2小隊との乗り換え運用だといったご不満の部分は千葉消防フリークの皆さんにはあるものの充実率では日本に誇れるものがあるわけです。
当然、他消防よりも救急車の現着は理論的には多少とも早くなるわけです。
ところで、私個人の私見としては東消庁のPA連携はあまり感心しません。
日頃からあまりスタンドプレー的・情実的にポンプ車部隊を運用しているといざという時、特に大震災時などにポンプ車部隊が救助・救急援助と初期火災叩きとの任務の股裂きになってしまって合流火災発生を招いてしまいそうな危惧があります。
ただでさえ、ポンプ車2小隊が廃止される署所が東消庁内で増えてきているようですし。
水利困難の中で多数同時に発生する火災流をいち早く食い止められるのは地元消防機関の全力投球以外あり得ません。
あくまでもポンプ車隊の救急援助は必要要請に応じた特命事項の範囲内としておくのが賢明と思います。
むしろ救急搬出援助などは地元の市民参加の消防団・ボランティア団体が臨機に有効的に機能して行えれば大震災時対策などにも繋がってくると思われますが・・・。
救急ヘリはこれはぜひ千葉消防でも実現して欲しいところですね。
(3機目の導入ヘリで千葉県中央部をカバーする広域救急行政の一端として。)
その他
水害対策用ホバークラフト、消防庁舎初の免震構造導入など日本初はまだまだありましたね。
以上徒然のままに。
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投稿日:2001年8月15日
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投稿者 taksoho : 2005年06月09日 05:16