« 千葉消防徒然話 その5 | メイン | 千葉消防徒然話 その7 »

2005年06月09日

千葉消防徒然話 その6

知られざる特救隊、畑特別救助隊と出初式のハプニング
L2461a.jpg
>masa様

千葉市 TAK

昭和41年に千葉県初の特別救助隊が千葉消防に創設されたことは以前に何度も書いております通りですが、第2隊目として設立された特救隊が畑特別救助隊だったことはあまり知られておりません。
昭和47年12月より翌年48年7月の新消防局庁舎
(今の新消防合同庁舎の前の真砂1丁目にあった局本部庁舎)
オープンまでの1年に満たない短い期間でしたので一般に知られていないのは当然のことではありますが・・・。

昭和46年5月の田畑デパート火災、47年3月の仁戸名町の社会保険病院松籟荘火災と現有消防力に限界を感じさせられた千葉消防当局はポスト田畑火災への対応策として大幅増強を計り、まずその第1弾として昭和47年12月に32m新型梯子車(日野レンジャー TC311改)が増強されました。
当時、警防課直轄の特別救助隊は西千葉出張所に駐屯しており救助工作車(トヨタFC100改)と32m梯子車(日野レンジャー TC30改)のペアで運用されておりました。
そこに新規増強の梯子車が届き、日野レンジャーTC30改の梯子車と入れ替りました。
そして新たに北消防署畑出張所に千葉消防第2番目の特別救助隊が設立されて同梯子車が玉突きで配備されました。
(この部隊は梯子車のみの、いわば梯子特別救助隊でした。)
なぜ畑出張所だったのかというのは大型の梯子車を収容できる車庫の幅、奥行き、高さを持った消防車庫施設が北署本署、畑、千城台、蘇我、南署本署などの比較的新しく建てられた庁舎で敷地に多少のゆとりのあるところであること。
(ちなみに西千葉に新規配属された日野レンジャー TC311改梯子車は車長がありすぎて梯子車用増築車庫のシャッターが閉まらなくなり夜間もシャッターを降ろさなくなりました。)
市の南部や東部に比べて北部に比較的中高層建物が多かったこと。
市中心部から離れすぎないことなどから決定されたようです。
畑出張所においても大型梯子車の格納はなかなか大変で、完全には収容しきれず、車庫背面のシャッターを開けっ放しでお尻の部分が建物の外にはみ出していました。(笑)
建物隣にそれまでの車庫からはみ出した救急車収容用のトタン屋根の簡易車庫が作られました。
(現在畑出張所にある化学車、梯子車などの大型車用のコンクリート製増築車庫は当時まだありませんでした。)
ちなみに畑出張所が新築されたのは昭和46年11月ですが、その時北署本署(現、花見川署本署)に配備されていたシュノーケル車(日野TE120改)を移動配備しようとしたのですが車庫の高さが足りず入らず北署本署にシュノーケル車は結局Uターンして戻りました。
(まったく偶然にも悪戦苦闘のその場に私は居合わせました。)
日野レンジャーTC30改梯子車は,ごっついトラス構造梯体のシュノーケル車より車高が低かったので尻はみ出しでも何とか収容できたのでした。

さて、畑特救隊新規オープン後、落ち着く間もなく年明けに昭和48年度消防出初式が1月6日に開催されました。
(当時は今のように1月前半の日曜日ではなく東京消防庁と同じ6日開催でした。)
場所は国道14号線脇の稲毛海岸4丁目の千葉トヨペット本社隣の稲毛公園でした。
千葉消防のありったけの特殊車両。梯子車3台、シュノーケル車1台、救助工作車1台、化学車4台、
水槽付きポンプ車、小型ポンプ車、救急車、消防団ポンプなどが勢揃いしました。
車両分列行進に始まって表彰式、(当時は分列行進と消防演技の間になんと表彰式が入っていたので
観客にとっては少々間延びしていました。)
消防演技と進行して最後の一斉放水へと進んだ時にそのハプニングは起こりました。
4台並んだ梯子車、シュノーケル車がそれぞれ梯体をするする一杯に伸長して放水準備を整えた時でした。
なんと畑特救隊の32m梯子車のほぼ全長まで伸ばした梯子に装着のゴム引きのホースが伸長途中に絡まってしまってそれ以上上げることも縮めることも、もちろん放水することもできずに立ち往生してしまいました。
しばしの中断の後、やむなく梯子車1台欠で一斉放水実施とあいなりました。
式終了のあとも先端部のリフター上の放水員さんがホースの絡みを直そうとしましたが作業に手間取り、
しばらく梯子を降ろせないまま悪戦苦闘の末、ようやく絡まったホースの取り除きに成功しました。
私も当時より現在まであのような梯体故障を目撃したのは後にも先にもあれっきりです。
ああいうことって希にはあるんですね。
と、言う訳で畑特別救助隊さんたちは事態収拾のご苦労様の後で梯子車上で集まってしばしの休息をとりながら隊長さんがため息をつきながら「仕方ないよなあ。」と
部下の隊員さんたちに語りかけていました。
(翌日の新聞の千葉版にこのことは出初め式でのハプニングとして書かれました。)

その年の7月に真砂1丁目の新消防局庁舎がオープンして西千葉の警防課特救隊は近衛部隊として新局本部庁舎へと移動して西千葉のその後には畑特救隊がそっくり移動して新たに西千葉特救隊となり、結局、元の古巣の西千葉へ再度復帰に結果的にあいなりました。
畑特別救助隊の名称は約8ヶ月で廃止になりました。
西千葉特救隊は昭和50年1月の中央署水上出張所の臨港消防署への昇格とともに臨港署に移動して現在に至っています。
ちなみに第3隊目は昭和51年10月に中央署都賀出張所に中央特別救助隊が設立されています。

以上徒然のままに。


------------
投稿日:2001年7月16日
------------

投稿者 taksoho : 2005年06月09日 05:15

コメント