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2005年06月09日

千葉消防徒然話 その16(続き)

千葉水上消防揺籃とその後(Part2)


(Part1から続く。)

昭和50年1月10日に中央港一丁目に新設開署した臨港消防署は最初は配下出張所はなく、本署単独の編成でした。
管轄は市中央部の都川右岸の出洲港より問屋町、中央港1丁目、新港から海岸沿いに高洲4丁目に至るまでのウォーターフロント全部というえらく細長いエリアを受け持つことになりました。
また、市に面した海上部分と河川の水面も管轄に入っていました。
庁舎建物は平屋スレート鉄骨造りの一見、倉庫風の実用性一点張りの建物でした。
配備車両/船舶は水上分隊当時から使用していた水槽付ポンプ車A3(臨港1分隊)と西千葉出張所から西千葉特別救助隊(梯子特別救助隊)の32m梯子車L24(日野レンジャー TC30改)が移動してきて
新たに臨港特別救助隊となり、真砂本部特別救助隊からまわってきた耐爆装甲化学車C19(いすゞSPG650改)の3台と消防艇「はごろも」が当初の配備メンバーでした。
耐爆装甲化学車は皆様よくご存知の多くの幼児向け消防絵本を席巻した超人気特殊車両でした。
このように最初から特殊車センターとしての色合いを濃く持ってスタートを切りましたが、その後も漸次、配備特殊車両が増加していきました。

まず、開署後の昭和50年6月に署長用無線車(現在の署長用指揮車)が配備されました。
セダンタイプの緊急車両で、これで本署らしさが増しました。
同年7月には救急隊も新規配備されました。

昭和53年3月に臨港署管轄初の出張所、高浜出張所が開設されました。
そして同年10月に千葉消防初の化学消防3点セットが高浜に配備されました。

昭和53年4月には北署畑出張所から臨港署本署に高発泡車C59が移動して来ました。
これは畑出張所に成田空港への石油パイプライン対策で新規購入された大型化学車C67(日産CK20L改)が配備されたためで車庫スペースのゆとりと県都心に近いという地理条件で臨港に移動してきたと思われます。
なお高発泡車C59は平成2年1月に新規の高発泡排煙車に更新されています。

昭和54年10月には隣の隣接した敷地に本格的鉄筋コンクリート3階建ての新庁舎が新築され(現庁舎)当初のスレート鉄骨の庁舎建物は予備車庫と倉庫として使われるようになりました。
(昨年この予備車庫と倉庫は新しく建て替えられました。
現在、高発泡排煙車と本部警防課の防災支援車、音楽隊バスの3台が車庫の中に収納されています。)

昭和55年12月には高浜に次ぐ千葉消防2番目の3点セットとして高所放水車仕様のシュノーケル車と泡原液搬送車が配備されました。
臨港署本署はますます特殊車センターとしての性格を深めて行きます。

昭和56年12月に臨港特別救助隊に救助工作車1型(トヨタダイナJ−RU20改)が配備されて32m梯子救助車L24とのペア運用を開始しました。
これで千葉消防は救助工作分隊3コを運用する体制が整いました。
それまで真砂局本部(警防課特救隊)と都賀(中央特救隊)の2個救助工作分隊で千葉市内を分担して活動していたのですが地理的条件からどうしても市中央部から南部にかけてがカバーが手薄になっていたのがこれで解消されることになりました。
なぜ、新規購入の救助工作車が小都市/町消防機関向きの1型だったのかというのはよくわからないのですが、おそらく泡消火剤備蓄タンク施設建設か何かの案件で国から石油施設立地交付金が支給された際の使い残り予算で買える範囲内だったのが1型だったのではないかと思われます。
その後、配備済の救助工作車1型は早々と昭和57年度予算で本格的な救助工作車2型に更新されました。
救助工作車1型はその後は資機材搬送車となって、同時に予備の救助工作車として市内各救助分隊の救助工作車の修理・点検および訓練演習・救助競技会・出初式等の車両出向時にバックアップとして
運用されていました。

昭和57年3月に臨港署管轄2番目の出張所、真砂出張所(現、美浜署本署)が開設されました。
真砂出張所には前に消防徒然話その7で書いた当時日本最長の47.15m梯子車が開設当初から配備されました。

昭和59年2月に新消防艇「まつかぜ」が竣工して「はごろも」が更新されました。
「まつかぜ」は総トン数(新)で35t、旧トン数で59t相当ですからずいぶんと船サイズが増大したことになります。
消火能力も5000型放水砲3基と3000型泡放射砲2基が装備されて一段とパワーアップしました。

「はごろも」の在籍中の特筆すべき出来事としては昭和57年2月の羽田沖日航機不時着事故(かの片桐機長の逆噴射事件です)に「はごろも」が横浜消防・川崎消防の消防船艇とともに応援出動したことです。
結局、沖合警戒待機で救助活動には直接関わらなかったものの各大都市消防との実務的な協力体制の始まりとなりました。

昭和61年12月には昭和41年に新規購入されて以来ずーっと終始一貫、特別救助隊で活躍し続けてきた32m梯子車(L24)が日産UDベースモリタ製スーパージャイロラダー30m(P−AZ30D改)に更新されました。
このスーパージャイロラダーはもちろん千葉県初で、先進的なフォルムと機能にはいささか驚かされました。

平成2年4月1日には千葉市の政令指定都市移行への前準備として真砂出張所は美浜署本署に昇格して高浜出張所も美浜署管轄に移行したので臨港署は再び本署単独の消防署に戻ってしまいました。
臨港の高所放水車仕様のシュノーケル車と泡原液搬送車は美浜署本署に移動してしまいました。
また、中央署本署に配備されていたCD化学車(ドライケミカル化学車:三菱FK115改)はこの時に高浜出張所に移動しました。
このCD化学車も千葉消防の出色の車両として多くの幼児向け消防絵本に登場した車両でした。

さらに平成4年4月1日には千葉市の政令指定都市移行にともない、臨港消防署は本署から中央署管轄の出張所へと降格にあいなってしまいました。
(このとき同時に南署本署も宮崎出張所に降格となっています。)
とは言え、装備・配置人員とも他の出張所とは段違いのいわば分署レベルといえる充実ぶりは変わりませんでした。
それどころか呼吸器充填車までもが美浜特救隊から臨港に移動してきました。

余談ですが臨港で特に目立って多い災害出動項目にトンボ釣りならぬ、カブトムシ釣りがあります。
(飛行機ならぬ自動車なのでカブトムシと例えて)
とにかく中央港岸壁はなぜあのように自動車の海中転落が多いのか不思議ですが、年何件くらい平均で出ているんでしょうかね。

その後も耐爆装甲化学車の引退やら救助工作車3型と牽引トレーラーの更新配備やら警防課の防災支援車まで預かることになってしまったり、皆さんご存知のように各種特殊車両の入れ替わりを繰り返しながら今日にいたっている訳です。

そしてこの度の100tクラスの大型消防艇への更新の決定ということで、出洲港のボロ建物から始まった水上/臨港の履歴は千葉消防のローカル中規模都市消防から洗練された大都市消防への
推移のページそのものを物語っているようにも思われます。


以上徒然のままに。


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投稿日:2003年4月6日
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投稿者 taksoho : 2005年06月09日 05:28

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