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2005年06月09日

千葉消防徒然話 その14

昭和47年 蘇我小学校火災と消防団分団支部員による局消防車路上阻止ハプニング!?
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>masa様

千葉市 TAK

昭和47年12月30日の午後の2時を過ぎたくらいの頃だったでしょうか。
突然、「今井町3丁目15番地32号、(現、中央区)蘇我小学校、建物火災第2次出動」の指令アナウンスが千葉市内の全消防署所に響きわたりました。
白昼の学校火災とは重大事で、当然のことながら人命多数危険が想定されます。
ですが、幸いなことにこの日は暮れも押し詰まった年末で学校は冬休み。建物内に人は殆どいませんでした。

南消防署本署庁舎(現、宮崎出張所)ではポンプ1分隊の普通化学車(CP)とポンプ2分隊の小型ポンプ車、救急隊の3台があわただしく出動していきました。
程なく第3次出動指令が追加指令されました。
南署本署前を大宮ポンプ1分隊の水槽付ポンプ車と大宮ポンプ2分隊の小型ポンプ車が間を置いて前後してけたたましくスピードをあげて通過していきました。
(大宮出張所は当時は南消防署に所属していました。)
続々と防御部隊や救助隊が現場に集結していきます。
聞こえてくるサイレンの様子から桜木小隊も出てきているようで、さて、南署本署への残留警備の部隊は
今回はどこが来るのだろうか?
誉田1分隊かな、などと考えているとなんと驚くべきことが起こりました。
トヨタのライトエースという車種だったでしょうか。
当時のポピュラーだった作業用トラックの露天の荷台に可搬式B2級ポンプを載せて消防団の分団支部の1部隊がすべりこんできました。
(第何分団の何支部かは不明)
赤色灯の代わりに赤い旗布を木製の旗棒に括り付けて運転席の屋根の上に高く掲げて緊急車両を示していて、サイレンはアームがついた手回し式のものを同じく屋根の上に据え付けていました。
団員さんたちは紺の消防団員服ではなく私服の作業着(なっぱ服?)で頭にねじった手ぬぐいを鉢巻状に巻いていましたから鳶職さん、あるいは農業従事の団員さんたちだったのではないかと思われます。
思わぬ珍しい部隊の出現にいささか度肝を抜かれてしばらくあっけにとられておりました。
この部隊が南署本署残留警備部隊としてそのまま部署して後ほどハプニングを引き起こします。

さて、火災現場の方では最先着の蘇我1・2分隊を始め、南署1・2分隊や生浜1分隊などの所轄署隊が手際良く火点直近に部署して、あるいは中継送水体制を整え、後着部隊も小学校の敷地をぐるっと包囲する体制を整え大事に至らず火災は延焼を阻止されていきました。
蘇我小学校は2階建てでしたので梯子車部隊の出場はありませんでした。

出場部隊は下記のとおりでした。


蘇我1(CP)、同2(PT)
南署1(CP)、同2(PM)、同救急隊
生浜1(PT)
中央署1(PT)、同2(PM)、同無線車
局本部 警防課無線車(指揮統制車)、火災原因調査車 
大宮1(PT)、同2(PM)
水上1(PT)
桜木1(PT)、同2(PM)
西千葉1(PT)、警防課特別救助隊救助工作車(R)
穴川1(PT)、同2(PM)
消防団3分団(PM)
川鉄自衛消防隊(PT)


早い段階で延焼は阻止され、鎮火のための残火処理がなされ約1時間後には火災原因調査に従事する部隊を除いて各隊それぞれホースを巻いて、順次現場を離れて帰署していきました。

その頃、南署本署の前では火災鎮火の消防情報アナウンスを聞いた残留警備にあたっている消防団員さんたちが苛立って本署建物の前をうろうろ行ったり来たりしていました。
それはそうで暮れの忙しい12月30日、団員さんたちはそれぞれ家業を中断して駆けつけてきたわけで、鎮火の報が入ったのだから後は常備消防部隊に任せて一刻も早く任務から解放されたいのはごく自然なあたり前の話です。
最初に南署本署の前を通って帰署していく桜木1・2分隊の車両が通っていきました。
団員さんたちは自分たちに替わってくれるのかと期待していたら無情にもそのまま通り過ぎて行ってしまったのでむっとして次に通る部隊を待ちました。
すると程なく大宮小隊が白旗方面から走ってくるのが見えます。
数人がかりで南署本署の前のバス通りに立って大手を広げて立ちはだかり、大宮1分隊の水槽付ポンプ車と2分隊の小型ポンプ車をストップさせてしまいました。
バス道路の真ん中で車両を止められて大宮小隊長さんはびっくりした様子でしたが後ろにも一般車両がつながっているので仕方なく南署本署の車庫前の敷地へと左折進入しました。
2分隊の車両も続きます。
車両を止めた団員さんたちと大宮小隊長との話し合いがその場で始まり、1分隊の水槽付ポンプ車は一旦車庫に入れられ、2分隊はそのまま大宮出張所へと帰っていきました。
南署本署の残留署員さんも1人建物の2階の事務所から降りてきて話に加わりながらしきりに団員さんたちをなだめていました。
団員さんたちと大宮小隊長との話は容易につかず、指令センターの判断を仰ぐためでしょうか、署の建物の2階の事務室へと一緒に上がっていきました。
他の1分隊の隊員さんたちも2階に上がっていったのでそのまま大宮1分隊が残留警備を引き継ぐのかなと思っていたら、しばらくして2階から大宮小隊長と隊員さんたちが降りてきて、大宮1分隊の車両は南署本署を後に帰署してしまいました。
結果として消防団分団支部部隊は残留警備配備の継続を強いられ、結局、南署2分隊がようやく帰署した夕刻まで足止めされて盛大にぶうたれながら帰っていきました。

普通なら誉田1分隊あたりが残留警備に入るのに、この日は年末の火災多発時期のため警戒態勢を高めたためだったのでしょうか。
その後は二度と消防団分団のポンプ、あるいはこのハプニングに係ったような可搬式ポンプを積んだ臨時ポンプ隊が南署本署の残留警備に入ることはありませんでした。
結局、極めて例外的な出来事だったのでしょうか?
局と団とはなかなかむずかしい関係がありますね。

それにしても団員の皆さん、本当にご苦労さまでした。


以上徒然のままに。

投稿者 taksoho : 2005年06月09日 05:24

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