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2005年06月09日

千葉消防徒然話 その12

千葉消防、過去最大の謎 真砂本部庁舎建設
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>masa様

千葉市 TAK

こんにちは。
久々に消防徒然話書き込みいたします。

長洲一丁目に現千葉消防新合同庁舎が完成してから早いものでもうすでにまる3年経ちました。
ロケーションとして千葉市全体を365度に万遍なく見渡せてほぼ理想の地理条件です。
でも、実は前本部庁舎は実際に建築された真砂一丁目ではなくて千葉港の千葉市役所を間近に見た位置に建築される予定でした。
実際、用地も確保されていて予算がとれ次第、建築開始を待つだけになっていました。
中央署水上出張所もこの建物に同居とのことでした。
上部団体の市役所も市議会もすぐ目の前の連絡の良さで、長洲一丁目の現千葉消防新合同庁舎と良い勝負の良好地理条件でした。
それがなぜ、実際は真砂一丁目に建ってしまったのか千葉消防最大の謎のトップに位置するミステリーです。
(昔、別の消防BBSで「東消庁20世紀最大の謎」と題して書き込みをシリーズでしたことがありますが、
これはいわば千葉消防版特別篇です。)

この話を書くと現職の方で機嫌を悪くなさる方がいらっしゃるかもしれませんが、もう新消防合同庁舎もすでに建ってしまっていますのですでに過去の時効の来た話としてご容赦下さい。(笑)

ある奇妙な新聞記事が千葉日報誌に載ったのは田畑百貨店火災の少し後、昭和46年の秋くらいかと記憶しております。
その記事によりますと中央4丁目の千葉市消防局本部庁舎・中央消防署本署合同庁舎が手狭になったので局本部庁舎を中央消防署本署庁舎と分離して千葉港の千葉市役所近くに新しく建築する計画を進めていたのが、最終的に真砂一丁目に建築替えするとの記事でした。
(私も新局庁舎は千葉港とばかり思っていたので正直びっくりしたのを今でも覚えています。)
発端はある日、局本部の総務課施設係の担当の方の一人がある話を聞き込んできたところから始まっています。
その係員の方の話とは、建築予定の千葉市役所近くの敷地に新本部庁舎を建てると既に建設確定済みの電電公社の建物の電波発信鉄塔が障害になって消防庁舎に無線通信受発信用通信塔が(電波法の?)規制を受けて立てられないとの話でした。
それを聞いた総務課と局幹部さんが通信アンテナが立てられないのでは消防本部として機能しないと考えて、慌てて本部庁舎を千葉港からすでに真砂出張所建築予定地として確保済みの真砂一丁目の敷地に建築位置を変更するとの決定を下してしまいました。
(記事に書いてはありませんでしたが、たぶん市議会筋にすでに報告してしまっていたのでしょう。)
実際、現在、JR京葉線ちばみなと駅前の内陸側にNTT東日本とNTTドコモの白と朱色に塗られた通信鉄塔が2本立っています。
そのうちのより内陸側のNTT東日本の鉄塔がその障害となるアンテナだったのでしょう。
ところが決定が下されたその後で、消防用通信鉄塔を立てるにあたって規制や障害等は実際には存在しないということが判明してしまったからたまりません。(!?)
・・・・・・
結局、施設係の担当さんの「こうなったら本部庁舎は真砂に建てる。」の談話でこの記事は終わっています。

私はもちろん論評する立場には昔も今もありませんが、真砂一丁目のロケーションはあまりにも中心部から西に偏りすぎているのは言うまでもありません。
(もっとも横浜消防のように市役所・議会や中心部から遠く離れた保土ヶ谷区に局本部を建築した実例はすでにありましたが。)
警防課の特別救助隊もその時点で西千葉出張所に駐屯していたのが本部庁舎竣工とともに本部に同居の予定でしたから当時1台しかなかった救助工作車のカバーが大きく市西部に偏ることとなりました。
この状態は昭和52年11月に2台目の救助工作車が購入されて都賀の中央救助隊に玉突きでトヨタFC100Cの救助工作車が移動するまで続きました。

結局、新本部庁舎は昭和48年7月に竣工しました。
その当時はまだ隣の東京歯科大の建物も建っておらず、文字通りだだっ広い埋立地の中にぽつんと局本部の建物と通信塔がそびえ立っておりました。強風の日には埋立地に濛々と舞う砂埃がとても目にしみました。

当初、局本部庁舎が建つ筈だった市役所近くの敷地は今でもグリーンのネットフェンスに囲まれた芝の空き地のままです。
(たぶん、県企業庁の所有地なのでしょう。)
市役所と斜向かいの道路を隔てただけの一等地なのになぜ空き地のままなのかは詳細不明です。


以上徒然のままに。


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投稿日:2002年4月5日
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投稿者 taksoho : 2005年06月09日 05:23

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